桃山学院史料室
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登美丘キャンパスの「登美丘」は、現在の大阪府堺市東区西野近辺のかつての呼び名(大阪府南河内郡登美丘町西野)から取られている。約6万㎡の土地は、大学開学(1959年)の1年前に大学用地として取得され、1962年には総合運動場(通称登美丘グラウンド)として整備された。
☆地図は1969年
1971年4月、昭和町と登美丘に分かれていた大学の学舎が登美丘に統合された。昭和町キャンパスが手狭になったのはもちろん、中高生と大学生が同じ場所にいることの弊害や、キャンパス間移動の不便さが大きくなったこともあった。1973年ごろの航空写真では、かなりの数の校舎が建ち、整備されたことが伺える。
1987年、日本聖公会が組織成立100年を迎え、来日したカンタベリー大主教ランシー師が大学を訪れた。師により、新しく建設されるチャペルの地割式がおこなわれた。