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ウェブ展示「C. F. ワレンと
居留地に蒔かれた2粒の種」

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 桃山学院の創設者とされるチャールズ・フレデリック・ワレン(Charles Frederick Warren, 1841~1899)は、宣教団体「英国聖公会宣教協会」(Church Missionary Society、CMS)から派遣され来日した宣教師です。ワレンは大阪の外国人居留地(川口居留地)に居を定め、キリスト教の布教に励む傍らで、教育を受けられない日本人の女性のために学校をつくろうとする仲間を支援します。

 桃山学院の嚆矢は、そんな中で偶然地に落ちた種のようでした。大勢の女の子に混じって勉強をしている11人の男の子のためにつくられた「三一小学校」、2人の日本人信徒のためにワレンが始めたプライベート・レッスンが発展した「三一神学校」。この2つの種が芽を出し育つうちに、小学校と神学校の間のレベルの学問を教える学校が必要だという話になり、「高等英学校」がつくられました。

 その後、三一小学校と三一神学校(大阪三一神学校)は、他の組織と合併してその名を消しますが、高等英学校は「私立桃山中学校」から「(旧制)桃山中学校」へと発展し、厳しい時代を乗り越えて、現在の桃山学院高等学校に繋がっていきます。

 桃山学院の歴史は、学院史料室の展示でこれまで何度となく取り上げてきました。現在学院史料室でワレンのマンガを編集していることもあり、ここでは創設の時代を中心に資料を選びました。鋭意制作中のマンガも少しだけ紹介します。

ウェブ展示「懐かしの登美丘

キャンパス」

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 桃山学院大学はこれまでに2度キャンパスの移転を経験しており、最初の移転統合先が、大阪府堺市東区にあった「登美丘キャンパス」です。

 南海電鉄高野線北野田駅と狭山駅のあいだに位置したこのキャンパスは、大学開学時の昭和町キャンパスが大阪市内の都会にあるのに対し、当時は新興住宅街に囲まれた、のんびりした場所でした。大学はこのキャンパスで、学部の増設や定員の拡充を経て大きく育ちます。他大学と同様、学生運動の渦中に置かれた時期もありましたが、チャペルの建設など、キリスト教学校としての様相も整えられました。

 登美丘にキャンパスがあったのは約30年と、決して長くはありませんでしたが、「桃大らしさ」が培われた場所と言っても過言ではありません。このキャンパスを巣立った卒業生の愛着は大きく、リクエストにお応えする形で企画した展示です。一部、これまで展示等で使っていない写真も出しています。

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